生きること-サイレント・ブレスを読んで-
先週読んだ本はこちら南杏子先生の「サイレント・ブレス」
結論から述べると面白かったです。
在宅医療をあまり知らなかったので新鮮で、このような医療の方法があることに驚きました。
病院などは医者が軸となって患者の病気をやっつけていきます。
在宅医療は患者が軸となって各資源が手を取り合って助け合いながら行う医療のこと。
https://homedi.eisai.jp/consumers/about/
多少のネタバレを含みます。
あらすじーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新宿医科大学病院の総合診療科で10年間勤務してきた水戸倫子は、ある日、「むさし訪問クリニック」という、在宅で最期を迎える患者を専門としている診療所への異動を言い渡される。三鷹駅の近くにあるその診療所に在籍して働き始めた倫子は、初めのうちは、余命いくばくもない患者たちと向き合うことの無力感に苛まれていた。
しかし、抗がん剤による治療を頑として拒絶する乳癌患者や、無理に生かされたくはないとチューブを使って流動食を胃に直接流し込む方法である胃瘻を拒否する老人、高尾山の麓にある清滝駅の付近で保護された、言語障害が疑われる身元不明の少女や、22歳の筋ジストロフィー患者など、さまざまな患者と向き合っているうちに、ターミナルケアを行うことの重要性に気付いてゆく。
wikiから一部抜粋
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僕の中で、医療とは人の命を救うことだけだと思っていました。
でもここで登場する人物は治療を拒否する方々ばかり。
生きることを諦めているというより
人間として生きること。今を楽しく生きたい。を重視している。
意識が無い中で点滴の生活や、介護してもらいながらの生き方。
この方々が人間では無いというわけではありません。
でも上記の生活が楽しいかどうかは当事者し分かりません。
その生活を実際にやってみて自分のプライドと心情が揺れ動かされ苦痛ならば
自身の死を受け入れ、今を生きて、そして満足して死ぬ。
そういう選択肢も無くは無いかな。。。
生きることの意味が大きく替わろうとしているのかなと僕は思います。
時代はどんどんと進化し、スピードが早くなっていき、価値観も昔と変わっていっています。
医療の現場も進化しており、世界中の寿命は伸びていっています。
人の心情も変化しているのではないでしょうか。
今の高齢化の状況をテレビやスマホで観ることができ、素早く情報を得る。
テレビで認知症の人たちを見たり、介護を受けている高齢者の姿を見て
後の自分もああなるのかなと思い、考え、
自分にはこの生き方をするのは難しいな、そうなる前に。。。
と思うのは自然ではないだろうか。
この先、そう考える人が多くなってくると私は思う。
むしろ増えているからこそ「尊厳死」が議論されているのだろう。
尊厳死・・・人間としての尊厳を保った状態での死
人間としての尊厳を保つという言葉の重さ。
人が人でなくなるのは当事者からしたら辛いことで、自分が意識が無いのに家族にも迷惑をかけてるかもしれない、私が生きていることで苦しい思いをするかもしれない、そう考えると死を受け入れていく人は必ずいる。
当事者と家族がお互い「死」を受け入れないと出来ないことですが、その判断をすることは私には理解できます。
在宅医療はリスクが伴いますが自由に生きれることはある程度は保証されます。
人間として自由に生きる。家族としては死を受け入れることは辛いことかもしれませんが、こういったことが今後は起きうるということを我々は知っておかなければなりません。
今のうちに考え、自分の両親が死を受け入れたことに対し理解を示すのか、もしくはちゃんとした理由で考えを改めさせれるのか。
もしくは自分自身が死の受け入れを迫られた時